他人と比べない、他人に強要しない、幸せな生き方

「みんながやっているから僕もやる」日本人はこう考えてしまいがちだ。
だが、それは疲れる生き方の始まりかもしれない。

自分は自分、他人は他人。
そうしっかりと区別すれば、もう少し生き方は楽になるかもしれない。

都会で生まれ、都会で育ち、都会がイヤになって田舎に逃げた私の経験を交えて、一つの「ライフスタイル」を紹介したいと思う。

他人と比べないと気が楽になる

子供のころ母親に
「〇〇くんがテストで100点取ったらしいよ、あなたも頑張りなさい」
というようなことを言われた経験がないだろうか?

大半の親は成績のいい子供に育ってほしいと願っている。
それは当然だし、間違ってはいないと思う。

だが、テストという小さな枠組みの中で、能力を発揮できる人はこの世の中にどれだけいるのだろうか?
極端な話、テストの点が0点であっても、将来、生活できるだけのお金を稼げればいいはずだ。
「生き抜く」にフォーカスして、テストという枠組みに囚われずに生きるのはとても大切なことだと思う。
得意なものを伸ばすほうがストレスは少ないし、ストレスがあったとしても耐えきれる。

子供の頃の話を例にとってあげたが、大人になっても本質は同じ。
他人や社会の常識と比べるのではなく「生き抜く」を本質に掲げていれば、余計な気疲れは少なくなる。

煽るメディア、広告と距離を置く

世に溢れるメディア、広告の大半は、ただただ煽っているだけ。

「みなさんこうしていますよ」
「あなたには〇〇が足りていません」
「成果をあげるには□□が必要です」

自社が売り上げをあげるために他人と比べて不安にさせ、必死になって宣伝をしているのだ。

「たまごっち」が流行った時代、みんなが「たまごっち」を手に入れるために必死になって探し回り、長蛇の列にストレスをためながら並んだ。
手に入らなかった人は、さらに強いストレスを感じたはずだ。

これって、必要なストレスだろうか?
多くの人が「たまごっち」を欲しくなった要因は、メディア・広告の煽りと羨みだろう。
メディアや広告に煽られた結果、「たまごっち」を持っている人を羨み、わずかな満足を得るために「ストレスとお金」をつぎ込んでいるのだ。

普通に生活するだけなら必要なものなんてそんなに多くない。
私は田舎に暮らし、「テレビ」を捨てただけでこのようなストレスが大きく減った。
テレビは「煽り」の塊だ。

他人と比べる必要なんてどこにもない。

やりたいことをやり抜ける環境を作る

他人の常識や感覚に惑わされないためには、やりたいことをやり抜ける環境を作るのが大切。
せっかくやりたいことを見つけても、他人に価値観を押し付けられたり、咎められたりしてしまうとストレスに感じてしまう。

やりたいことに集中するためにはどんどん「価値観を押し付ける人」「ストレスを感じる人」を切っていくといい。

例えばTwitterなら、タイムラインに流れてくる不快な人を躊躇せずに「Mute」する。ブロガーとか経営者は、勝手な思想を押し付けてくるので即「Mute」だ。
こうすることで、反対の意見は聞こえなくなるので、ストレスが減る。
もちろん、私の記事がクソだと思ったら「なんでもやるblog」のドメインを非表示にしてくれても構わない。

こうすると価値観が偏ってしまうのでは?と思う方のいるかもしれないが、人は多かれ少なかれ偏っているので気にする必要はない。
ネットは「Mute」を押すだけで簡単に集中できる環境をつくれるので楽だ。

しかし、リアルではそうはいかない場合もあるかもしれない。
一つのケースとしていえば、私は「会社員」から「Web系のフリーランス」になって、職場という概念をなくし限界集落に移住した。
こうすることで、ほぼ隔離された環境を手に入れたのだ。

都会の職場は良くも悪くも閉鎖された社会、私はストレスを感じた。
自分に合わない価値観を持つ上司、先輩、悪い人ではなくても、ともに過ごす時間が長いと辛く感じることも多い。
そういった環境から離れられた今、心を許せる人との時間を大切にするようになった。

ここまで極端なアクションを起こせる人は少ないかもしれないが、つまらない「しがらみ」をなくすには最強の手段だと思う。

自分に取って不必要なものを切り落せば、全てが自己責任の世界が始まる。
人によってはこちらの方がストレスが貯まるかもしれない。
しかし、全てを自己責任にすることによって、他人のせいにしなくなるというメリットが生まれてくる。
良くも悪くも、自分主導の人生が送れるのだ。

お金を稼ぐ手段は割り切る

お金を稼ぐというのは、手段を選ばなければ簡単だ。

お金を稼ぐのにやりがいを求める人は多い。自分もそうだと思っていた。
だが、やりたいことをやるためなら多少のつまらない仕事もできる実感を得た。

私は「田舎で空間に余裕のある生活を送りたい」という軸があったので、仕事に関しては割り切っていた。
「Webライティング」と呼ばれる、Web上の記事を執筆する仕事をお金を稼ぐ手段として1年弱ほど行っている。
自分が嫌いな広告に手を貸しているようで、内心は複雑だが、生きる手段としては立派に役立っている。

だが、続けていると面白いもので、意外にやりがいが出てきた。
作業感も時にはあるが、都会でいろんなものに惑わされまっすぐ進めない感覚に比べると大したことはない。
自分の文章力をあげるためにも役立っているし、こうして自分の考えをタレ流すきっかけにもなった。

やりたいことのために「Webライティング」をした結果、限界集落でコリビング「ほくほく邸」を運営できる運びとなった。
ゆっくりだが、階段を一段ずつ踏みしめていく感覚も悪くない。

私も31歳になって「こんな働き方で大丈夫か?」と思うことはある。
だが、やってみて失敗した後悔よりも、やらなかった後悔の方が納得できないというのは、過去の経験上感じている。
やってみてだめなら元に戻るのも、決して悪くないはずだ。

「心地いい生き方」を模索するステップとしてはこんな働き方も悪くないだろう。

他人に強要するのはストレス

自分が他人に影響されなくなったとしても、他人に思想を強要するのはやめよう。自分自身にストレスになる。

自分の道を貫く人は、他人からしてみれば「変な人」「めんどくさい人」といっても過言ではない。
そんな人が、新興宗教よろしく、思想の布教活動をしてしまうとどうだろうか?

たいていの場合、多くの人にストレスを与え、自分自身も「なぜ理解してくれないんだ」と余計なストレスを抱えることになる。

自分は自分。他人は他人と割り切ろう。
そうすることで、お互い幸せになれる。

自己責任の世界で試行錯誤しながら生きていれば、他人に構う余裕などなくなるのが実際だ。

金銭的な成功が目的でなければブレていい

あなたはなんのためにお金を稼ぐのだろう?
そこを理解せずにお金を稼ごうとしている人が多すぎるように感じる。

私がお金を稼ぐのは「生き抜くため」だ。
もちろん、今の世の中貯金もしないといけないし、娯楽も必要だと思う。
だが、必要以上のお金を稼ぐためにストレスを抱え、苦しんでいる人が世の中多すぎる。

私の周りで、辛い状況になっても仕事をやめない人の多くは

「私が仕事をやめると他の人が困るから」
「親に申し訳ないから」

と、自分以外の人間がどう思うかを優先している。

しかし、危機的な状況で自分を守るのは自分だけだ。自分を守る選択は自分でしなければならない。
厳しいことをいうと、こういう考え方をしている人は、選択した結果を自分のせいにしたくないんだと思う。

今の時代、「生き抜くため」だけであれば、どうやったって生きていける。
大きなお金を稼ぐのが目標でなければ、選択肢は驚くほど広がるのだ。考えや行動がブレたっていい。
大事なのは「心地いい」を模索することだ。

生き抜くためのお金を考えれば、他人と比べる必要もなくなる。
なぜお金を稼ぐのかもう一度考えよう。

私の場合、あくまで目的は「生き抜く」こと。

心地よさを模索して今日も生きる。